ベイエリア
掲載日:2024/07/03
撮影場所:ルボン山(四街道市)
1912年9月23日、総武鉄道四ッ街道停車場に高齢のフランス人紳士が降り立った。彼の名はフランス陸軍中将ジョルジュ・ルボンである。10日前の9月13日、明治天皇の大喪の儀式が青山練兵場で執り行われ、フランス国代表者として参列していたが、懐かしき下志津原の地への再訪を願ったのである。若かりし頃、自らが築いた小山の頂上で感慨にふけっているルボンの前に、陸軍野戦砲兵射撃学校の校長河北大佐は「ルボン山」と記した木標を建てた。将軍は大佐の手を取り、堅く握手を交わした。「ルボン山」命名の瞬間である。この一件は国内の新聞はもちろんのこと、外国新聞にも「Lebon-Yama」の名とともに報道された。(大矢敏夫著「ルボン山と町打場の物語~佐倉藩の幕末・維新と軍郷四街道」デザインブック社出版より抜粋)
2025.05.03[Sat]〜2025.05.10[Sat]
お得なラブちば優待
ルボンさんの投稿
掲載日:2024/07/03
撮影場所:ルボン山(四街道市)
1912年9月23日、総武鉄道四ッ街道停車場に高齢のフランス人紳士が降り立った。彼の名はフランス陸軍中将ジョルジュ・ルボンである。10日前の9月13日、明治天皇の大喪の儀式が青山練兵場で執り行われ、フランス国代表者として参列していたが、懐かしき下志津原の地への再訪を願ったのである。若かりし頃、自らが築いた小山の頂上で感慨にふけっているルボンの前に、陸軍野戦砲兵射撃学校の校長河北大佐は「ルボン山」と記した木標を建てた。将軍は大佐の手を取り、堅く握手を交わした。「ルボン山」命名の瞬間である。この一件は国内の新聞はもちろんのこと、外国新聞にも「Lebon-Yama」の名とともに報道された。(大矢敏夫著「ルボン山と町打場の物語~佐倉藩の幕末・維新と軍郷四街道」デザインブック社出版より抜粋)