九十九里
掲載日:2022/08/12
撮影場所:長南町郷土資料館(長南町)
『右 大田喜 ばう志う道』 (右 大多喜 房州道) 郷土資料館前のこのバス通りは、昔は浜野から大多喜を抜けて勝浦へ続く房州中往還だったそうだ。 正岡子規は夏目漱石が安房小湊の海の美しさを日記に書いていたので、自身も鉄道がまだ千葉を走っていないころ、成田山や佐倉を通って、浜野、長柄、大多喜、そして安房小湊へと旅をした。ここ長南町で雨に遭い、俳句とは何か、とインスピレーションが湧いた。だから雨避けに買った蓑笠を生涯大切に持っていたという。 この道標には安政六年の文字が。間違いなく子規が通った明治にはここに立っていた。きっと子規も目にした道標だろう。やや上り坂になって大多喜へ向かっている。本来なら五井から小湊へ繋がるはずだった小湊鐵道が、山に阻まれて中断したという。それほどの難所が待っているのだろうか。 小湊鐵道のバスで茂原に戻らず、上総牛久駅から帰ることにしよう。
2024.11.16[Sat]〜2024.11.23[Sat]
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さとけいさんの投稿
掲載日:2022/08/12
撮影場所:長南町郷土資料館(長南町)
『右 大田喜 ばう志う道』
(右 大多喜 房州道)
郷土資料館前のこのバス通りは、昔は浜野から大多喜を抜けて勝浦へ続く房州中往還だったそうだ。
正岡子規は夏目漱石が安房小湊の海の美しさを日記に書いていたので、自身も鉄道がまだ千葉を走っていないころ、成田山や佐倉を通って、浜野、長柄、大多喜、そして安房小湊へと旅をした。ここ長南町で雨に遭い、俳句とは何か、とインスピレーションが湧いた。だから雨避けに買った蓑笠を生涯大切に持っていたという。
この道標には安政六年の文字が。間違いなく子規が通った明治にはここに立っていた。きっと子規も目にした道標だろう。やや上り坂になって大多喜へ向かっている。本来なら五井から小湊へ繋がるはずだった小湊鐵道が、山に阻まれて中断したという。それほどの難所が待っているのだろうか。
小湊鐵道のバスで茂原に戻らず、上総牛久駅から帰ることにしよう。